ホンネ 技ありの人間関係

性別違和

違和感とは生理的・心理的にしっくりこない感覚である。その本当の怖さを経験した。

寝床から起き上がったとたん、周囲の景色がグルグル回りはじめ、いつまでたっても視点が定まらない。4年前の脳梗塞を思い出した。そういえば頭の中でプツンと切れた音がした。

吐き気でふらふらしながら2度トイレでうずくまる。横になり目をつむるとすごい恐怖感に襲われた。目が回れば生活できない。歩けないし字も書けない。もう人生おしまいだ。目を閉じていた時間が無限に思えた。腹を決めて恐る恐る目を開けた。「おおお!回らない」、心底安心した。妻に話すと「起立性のめまい。私もよくある」と一言で片づけられた。

わかったことは違和感は怖くない。怖いのはこれが一生続くのかという「絶望感」なのである。そんな大変なものがあるのだろうか。

その一つが「性別違和」という感覚である。例えば「男なのに男でないという感覚」。それが毎朝起きるたびに「違和感」として襲ってくる。これが一生続くのかという絶望感はどれほどの苦しさだろうか。このような問題を描いた映画が今、上映されている。

LGBT(性的少数者)を題材にした「彼らが本気で編むときは、」(荻上直子監督)。ベルリン国際映画祭でテディ審査員特別賞を受賞した作品である。早速小倉で観た。

男性の体で生まれた主人公のリンコ。思春期になり、自分の体の違和感に悩む。その後、性別適合手術(性転換)で女性になり、今では立派に女性として働いている。しかしそれまでの過程は困難を極める。小中学校のいじめやさげすみ。そして社会の差別意識が映画の中で丁寧に描かれる。

リンコに扮する生田斗真の崇高ともいえる人としての美しさ。リンコを心底愛する実母と桐谷健太扮するマキオの演技は見事としか言いようがない。観終わった後に、8%と言われる自分の性に違和感を覚えている人へ理解と共感の輪を広げたいとしみじみ思う映画だった。

フトしょうもないことを思った。私のこのモヤーっとした感じは性別への違和感ではないかと。私は体毛がどんどん薄くなり、妻はだんだん声が野太くなった。ドスのきいた「お帰り」の返事に、近頃、安心感すら覚える。