ワタシの本音 技ありの人間関係

最強の2人


「わかっていたつもりでわかっていなかった」と反省したことがあった。中学の同窓会に行った時のことだ。会場は昔の面影を残したおじいちゃん、おばあちゃんでいっぱい。昔話に花が咲く。

面白いなーと思ったことがあった。級友2人の話だった。A君は中学卒業後、県下トップの高校に進学した。その後九州トップの難関大学に合格。卒業後市役所に勤務の後、無事退職した。

もう1人の級友B君は高校に進学しなかった。家の都合もあり中学卒業後、食堂の出前の仕事に就いた。過酷な毎日に耐えかねて親にも言わずに東京に出たという。結婚後九州に戻り、運送会社を勤め上げ無事に退職した。

現在、A君はシルバー人材センターで草木のせん定の仕事について数カ月。新人だから修業中。B君は同じ人材センターで草木の洗浄の仕事ですでに5年のベテラン。B君はA君に「俺の方が先輩だな」とニッコリ笑っていた。

同窓会が終わり、帰宅してフト気付いた。これを聞いていて面白いと思った自分の未熟さだった。私が面白いと思ったのは、「若い頃は優位と思っていたA君が人生の終盤でB君に逆転された」と思ったからである。しかし、よくよく考えると、そもそもA君とB君との間に「上下」も「優劣」もない。それなのに面白いと感じたのは、私の心の中に「上下」「優劣」を意識する心がずっとあるからなのだと気が付いた。

妻に「あなたは人に平等を説くけれど勝ち負けや上下にこだわる」と言われてきた。「そんなことはない」と思ってきた。確かに良い人間関係を結ぶには、「タテの関係を捨て去ること」だとアドラー心理学にもある。

タテの関係とは、物事を「上下」「優劣」「勝負」「正誤」で考える心のクセである。これがあると「上位」「優位」「勝ち」「正解」を尊び、その反対をつい馬鹿にするようになる。コミュニケーションの語源は「分かち合うこと」だから、互いに対等という「ヨコの関係」を身に付けないといつもイライラして対話(対等の会話)ができない。

会話とは本来、喜びや知恵を「分かち合うこと」である。傲慢(ごうまん)な「上から目線」でもなく、卑屈な「下から目線」でもない。お互いを認め合う「対等・水平」の感覚を持つのは修業だと改めて実感したのである。

「最強の2人」は「対等の2人」である。