ワタシの本音 技ありの人間関係

新春3話をあなたへ

先の見えない状態でも我慢できる力を「ネガティブ・ケーパビリティ」と呼ぶそうだ。「負の能力」などと訳される。私は「不思議や奇跡を信じる力」「苦労を当たり前だと思える力」としている。紹介する3つの話はすべてこの能力の実話である。

(1話)福島県の養護学校に安藤さんという教諭がおられた。その隣にある重症心身障害児収容施設に、勝弘君という当時9歳の少年が身動きもせず8年間横たわっていた。両眼形成不全で難聴・重度の脳性麻痺で歩くことはもちろん言葉も話せず。なんの反応もせず。それを知った安藤さんは忙しい勤務の合間をさいてこの少年を訪れた。

か細い手を取って自分の頬にあて、もう一方の手を勝弘君の頬にあてて耳元に口を寄せ、「カツヒロくん、アンドーセンセイだよ」と呼びかけた。翌日もまた翌日も呼びかけた。3カ月目のある日、勝弘君は安藤さんの言葉によれば「天使のような」笑みを浮かべた。以後の勝弘君の変化は目覚ましく、7年後には養護学校の卒業証書を手に笑顔で写真に納まった。(児童心理2018年1月号「ふれることの深さ」竹内敏晴)

(2話)昨年末に映画を観た。岡山での実話を基にした映画「8年越しの花嫁 奇跡の実話」(瀬々敬久監督)。婚約直後の2人は困難に直面する。女性は「抗NMDA受容体脳炎」という300万人に1人といわれる難病で昏睡状態に陥った。婚約者の彼は彼女の病院まで雨の日も風の日もバイクで通い始める。

「約束したんです。結婚するって」の言葉を抱き信じての長い年月。8年の後、奇跡は起こる。なぜそんなに待てたのか? パンフレットにある当事者の青年は言う。「僕にとっては当たり前のことだったのです」

(3話)これは私の目の前で起きたこと。その男性の相談にのったのは20年前だった。町の鉄工所の課長だが仕事への情熱がわかない。私は「看護師の道は35歳から志しても決して遅くない」と専門職の面白さを説いた。

その後、彼は看護大学に入学、保健師の資格も取り、離島の保健師を務めた後、大学院で研究者の能力を磨いた。郷里に戻り、非常勤の保健師をやりながら大学職に就く機会を待ち続けた。見通しは全くつかない。そして昨年末、55歳で自分の母校の大学教員の内定を得た。20年越しの奇跡。偉大なのは支えた妻の心の底力。