ホンネ 技ありの人間関係

こころと言葉

朝、玄関に並ぶ靴の1つに「今日はお前を“履いてやろうか”」とふざけた。それを耳にした妻。「その言い方はやめなさい。靴に対して失礼でしょう。傲慢な心を治しなさい」とまた説教された。

確かに言葉には気をつけた方が良い。私のなりわいとする心理学は、心という「見えないもの」を対象としていたために「インチキだ!霊魂(れいこん)心理学」などと陰口を言われ、相手にされなかったという。

そこで先輩たちは考えた。見えない心を見える「行動」に置き換えて研究すればよいと。確かに、悲しい心は見えないけれど、シクシク泣くという「行い」は見える。人間の行動を実験によって科学的に究明した心理学は「行動科学」として大きく発展した。

特に心と言葉は深くつながっている。だから口は「命の入り口、心の出口」と言われる。口は命をつなぐ食べ物の入り口であると同時に心の代わりをする言葉を発する心の出口だからだ。昔から言われる「言霊(ことだま)信仰」とは言葉そのものに霊力があるという考えである。心と生活を健康に保つにはできるだけ肯定的で前向きな言葉を使いたい。

しかし、時代は移り変わった。メールの飛び交う、ネット社会の恩恵のかげにある言葉の軽量化というマイナスも覚悟したい。言葉が軽くなるにつれ、人の心も軽薄になり乱れることになる。歪んだ心がつい口に出たとされて、その言葉で窮地に追い込まれる政治家も出てくる。言葉の揚げ足をとるなとのマスコミへの批判もあるけれど、問題にしているのは言葉ではない。その心なのである。このように、つい口から出た本音は面白いことを日常的にも引き起こす。

あるファミリーレストランの店員さん。あまりの忙しさと注文の多さに、ちゃぶ台をひっくり返したいほどいら立っていた。注文を繰り返す時につい言ってしまった。「それでは注文を“くつがえさせていただきます”」

また、コンビニに料理のためのサラダ油を買いに行ったポッチャリ太めの学生さん。サラダ油をレジに持っていった時に「ストローはお付けしますか?」と言われた。心で叫んだという、「太めだけど油は飲まねーよ」

でもそのレジ係は優しい男だ。次に来た幸せ薄そうな女性の出したタバコと「ガス代」と書かれた手を見て、「温めますか?」