まち・地元 北九州大辞典

人々を飢饉から救った干拓田「猿喰(さるはみ)新田」

莫大な私財を投じ、難工事の末完成した田

江戸時代にたびたび起こった飢饉。特に、1732年に起こった享保の大飢饉では、大里村(現在の門司区大里)で100人以上、小倉藩全体で約4万人もの餓死者が出ました。そのことに心を痛め、「同じ悲劇を繰り返さないために」と大里村の庄屋・石原宗祐さんが、実の弟・柳井賢達さんとともに開拓したのが門司の猿喰新田です。 200年以上続く猿喰新田でとれた米は、甘みもあると評判。小規模農家が多いため、流通にのることは少ないそうです

門司を歩き回って干拓に適した土地を探し、海に堤防を設けて干拓。現在の価値で億単位の私財を投じて、難工事の末、1756年に約33ヘクタール(福岡ドームで4個分)もの新田が開かれました。

元々海だった土地を稲作ができる土に変えるには、土の塩分を抜く作業が必要。新田には、潮の満ち引きの力を利用した画期的な「汐抜き穴」が備わっています。現在は2基が残り、北九州市指定文化財に指定されています。

北九州市指定文化財の 猿喰新田汐抜き穴跡

“さるはみブランド”でよみがえった休耕田

開拓後、飢えで亡くなる人がいなくなったという猿喰新田も、時代の流れとともに後継者不足に悩み、休耕田・放棄地が増えてきました。しかし、「猿喰で農業ができるのは石原宗祐さんのおかげ。この田を残し、歴史を後世へ伝えていきたい」と、「さるはみブランド委員会」が立ち上がります。猿喰の米で商品を開発し、ブランド化するための委員会です。

何を作るかさまざまな意見が出ましたが、米のうま味がそのまま伝わり、新田見学に来る小学生も楽しめるノンアルコールの甘酒「門司猿喰あまざけ」を商品化。味わいが評判となり生産量が増え、休耕田対策に一役買ったそうです。人々の命を救った田は今、この土地のお米のおいしさとともに歴史を伝えています。

「こんな甘酒は初めて」「おいしい」と幅広い世代に人気の甘酒(864円)
【取材協力】
猿喰新田汐抜き穴を保存する会・会長、猿喰町内会・会長、さるはみブランド委員会・副会長 奥村直樹さん
【門司猿喰あまざけ問い合わせ】
田村本店 TEL 093(381)1496

リビング北九州2014年11月15日号掲載 ※情報は掲載時点のものです