こんにちは。考古が大好物・巻きリョーシカです。
前回、
きゅーはく女子考古部2期生になったとお伝えしましたが、今回はその第3回目活動に行ってきました。
今回のテーマは、「博多の遺跡」。そんな街中に遺跡があるの?
とお思いでしょうが、あるんです! それもかなり立派なのが!! 遺跡はなにも特別な場所ではないのです。そう。
あなたのすぐ近くにも…、というわけで、「すぐそこにある遺跡」を見学に出かけましょー!
この日のルートは、
金隈遺跡→板付遺跡弥生館→東光寺剣塚古墳。いずれも博多区内にある遺跡や古墳です。
こんなにたくさんの甕棺、見たことない!
金隈遺跡は弥生時代の共同墓地の跡です。
ここから、
348基の甕棺墓と119基の土壙墓、
2基の石棺墓が出土しているそうで、
展示館にはその出土した甕棺の一部がそのまま展示されています。

よーく見ると小さな甕棺もありますが、
これは子ども用の甕棺と思われるそう。なんだか少し胸が詰まります。
顧問曰く、
考古学者は甕棺の形などを見ればどの時代のものかわかるそうで、
そんな話をしながらポケットをゴソゴソ探っています。そして取り出したのは…
ジャジャーン!甕棺カード!!(しかも顧問の手作り)

このカードを年代別に並べることが出来る様になれば、
一人前の考古女子になれるということでしょうか。
どれを見てもほぼ同じように思える私。裏に書いてある文字も、
暗号にしか見えません。
私まだまだ修行が足りないということですね…。
そういえば顧問は、
通りすがりの道端にあった錆びかけのドラム缶を見て、
ぼそりと「円筒埴輪かと思った」とつぶやいていました。(
円筒埴輪とは筒状の埴輪で土管にも似ています。
人型ではないタイプ)
目の端に入ったドラム缶まで円筒埴輪に見えるとは。。。と、考古学者の業(ごう)というか眼力の鋭さにおののきつつ、
板付遺跡へ向かいます。
弥生人になりきってみた
次は板付遺跡弥生館へ。

板付遺跡は稲作発祥の地とも言われ、
弥生館では弥生時代の暮らしを体験しながら学べます。
まずは貫頭衣に着替えて、
職員の方から板付遺跡や稲作の始まりについてお話を聞きました。
その後は、みんなでワイワイと弥生人になりきってみます。

米を脱穀したり
太鼓をたたいたり
土笛を拭いたり
火をおこしたり
何をするにしてもコツが必要の様で、「できたー!」「難しい・・
・」とあちこちで楽しげな声が上がってました。
弥生人って器用だったんですねえ。
ひとしきり弥生人体験をした後は、古代米の田んぼを通り過ぎ、
竪穴式住居などを複製してある「弥生のムラ」へ。
実際に住居内に入ってみると、意外と広くてびっくりします。

5~
6人入っても、まだまだ余裕がありましたよ。

「弥生のムラ」は広々としていてとても気持ちの良い場所でした。
ビール工場の奥には、前方後円墳
さて、最終の目的地はビール工場・・・ではなく、
東光寺剣塚古墳。実はこの古墳、
竹下駅近くのアサヒビール博多工場の敷地内にあるのです。
そして実は、福岡平野最大級の前方後円墳なんですよ!

やぶ蚊に刺されながら森を進むと、石室への入り口を発見。
顧問が扉を開いてくれるのを、
遠巻きに見守る女子考古部のメンバー。

顧問の後ろ姿を見ながら「
アドベンチャー映画とかだと、一番にやられちゃう役だよなあ・・
・」と不届きなことを考えつつ待っていると、石室が開きました。
石室で入れるのは前室まで。後室にある「石屋形」
と呼ばれる石棺は柵越しに眺めます。


石棺は大きな石が組んであり、
そこに埋葬された人はかなりの権力者だったのだろうか、
古墳を作った人はどんな人たちだったんだろうか・・・
と
妄想するのも、考古女子の楽しみのひとつなんですよね。
今回は博多エリアの遺跡探訪でしたが、冒頭にも書いたように、
意外と身の回りに遺跡や古墳は点在しています。「
どこにあるのかわからない」という人は、
地域の歴史資料館などで尋ねると、教えてもらえると思いますよ。
ぜひ皆さんも、身近な考古を探してみませんか。
九州国立博物館のブログもチェック!
この日の様子は「きゅーはく女子考古部」のブログでも紹介されています。ぜひチェックを!
http://kyuhaku.jugem.jp/